東日本大震災、多くの方が大変な思いをさせた中、それに比べたら自分の体験は本当に些細ですが、でも保険に入っていて、本当に良かった、という体験をお伝えします。当時千葉市内のマンション11階に住んでました。娘を幼稚園に迎えに行き、帰っている途中で地震がありました。思わずしゃがみこむほどの揺れ、建物から人が慌てて飛び出してくる。ただ事ではないな、と思いました。とにかく自宅がどうなったか気になり、はやる気持ちのままに戻りました。13階まであるマンションのエレベーターは当然動かず、幼い娘と一生懸命階段を上りました。途中、降りて来る方がいて、泣いている方もいて、あーそうとう部屋の中はひどいのかもと絶望的な気持ちになりました。また、どこかで硝子が割れる音。部屋を見るのがとても恐くなりました。部屋に着きドアを開けて呆然。玄関には靴箱から飛び出た靴が散乱、すぐの部屋のものが廊下にまで飛び出していて。靴を脱いで上がるかどうか、しばらくその様子を見ながら考え込み、仕方なく靴のまま上がり、リビングもダイニングも、それはそれはありとあらゆるものが棚から飛び出し、割れ、倒れ。片付け始めても余震でまた戸棚からものが飛び出し。しばらく片付けもままならず呆然としていましたが、そのうちこの様子を写真に残そうと携帯に納めました。あの地震で私が失ったものは所詮家財の一部ではありましたが、それでも家の中がぐしゃぐしゃになったことは私の精神を不安定にしていました。すっかり片付けも終わったころ、保険会社の方が被害状況の査定にいらっしゃいました。すっかり片付けも終わってますし、写真をとってあると言っても、査定項目に合わせて写真を撮ったわけでもなく、ただ私の記憶と携帯の写真から、ひどい被害に遇われましたねとおっしゃっていただき、半壊の判断をいただきました。地震に遭って恐らく2ヶ月か3ヶ月後のことだったと思います。なかなか、自分たちの被害からの、あるいは他の方の苦しみなどをテレビ等でみたりして、気持ちの晴れない日々を過ごしていましたが、人間とは現金なものだと感じました。実際にお金をいただくと前を向く力が沸いて来ました。もしも保険に入っていなかったらきっと前を向くのにもっと時間がかかったと思います。この保険金は本当にありがたかったです。
hiro-888 (40代女性)
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